最初は、偶然のご縁から始まりました。きっかけは、知人の紹介で、とある女性と知り合ったことです。彼女は、長年、中国・ネパールのチベット人地区に住み、写真家として、また現地のコーディネーターとして活躍されている日本人です。来日した際、彼女の夫であるチベットの高僧からのメッセージを携えてこられたとのことで、直接お会いしてお話しすることになりました。
彼女は、「僧たちが手で摘んだチベット産の薬草・ハーブ」を、日本に輸出するための調査をしていると話してくれました。そこで私は、興味本位な気持ちから、どうして、このようなことをしようとしているのかと、理由を聞いてみたのです。
正直申しますと、単に「自分たちの生活のため」とか、「ビジネスとして」というような答えが返ってくるものだと思っていました。ところが、返ってきた答えは、予想したものとは異なっていました。
あのダライラマ14世が、精力的に世界を飛び回りながら訴え続けているように、今でも「慈悲の心」の大切さを広めていこうと考える、多くの人たちがいます。僧たちも、「自分たちの声を、少しでも多くの人たちに届けたい」という強い気持ちがあったのだというのです。
そうしてたどり着いたのが、「チベット産の薬草・ハーブ」を世界に届けるという話しであり、彼女は僧たちの意を汲んで来日し、調査を行っていました。しかし残念ながら、色々な規制によってプロジェクトは難航し、暗礁に乗り上げてしまっていたのです。
私自身、時々チベットに関するニュースは耳にしていましたが、遠い世界の出来事という感じでした。少なくとも、自分の日常の中での関係性やリアリティはありませんでした。しかし、彼女の話を聞くうち、「何かの形で力になりたい」という気持ちが強くなってきたのです。
その時は、具体的に何ができるのか全くイメージもなかったのですが、とにかく「自分にできること」を探してみようということにしました。
しばらくしてから、その答えを探るために、私自身が現地を訪れ、僧たちと実際にお会いしてみる機会に恵まれました。それが、amanamana/アマナマナが具体的に動き出す第一歩となったのです。
最初は、先ほど述べたように、「豊かな日本に暮らす私たちが、厳しい状況にあるチベット社会に何か手助けしよう」という気持ちがありました。今思うと「驕り」に過ぎないのですが、「自分たちは恵まれているが、彼らは困っている、だから助けてあげたい」という図式があったのです。
ところが、実際に彼らに接してみると、そうした考え方は、根底から覆されることになりました。
確かに、彼らの暮らしはとてもシンプルで、物質的に考えれば決して豊かとはいえません。 しかし、そこには私たちが失ってしまった「何か」が、脈々と息づいているといわざるをえないのです。
そして、何より驚かされることは、そうした子どもたち自身が、前向きに生きているということです。もちろん生活の中には悲しいことや辛いこともあると思いますが、慈悲(Compassion)という言葉が、小さな子供たちの中にさえ、息づいていることに驚かされます。
それに比べ、私たちの生活はどうでしょう。
何かに追い立てられるような忙しい毎日。常に不満を持ち、他人を批判し、自分自身や社会に対しても希望をもつことすらしない。そんな私たちは、本当に豊かであるといえるのでしょうか。そのようなことを漠然と考えていた時、ケンポ・カルテン・リンポチェと出会うことになりました。
ケンポ・カルテン・リンポチェとお会いしてから、このプロジェクトは、全く別の意味を持つことになりました。私たちが一方的に何かを与えるのではなく、彼らの中に流れる慈悲や思いやりの心に学び、平穏な心を得ようとする「双方向」のものへと変わっていったのです。
私の望みは、現代社会に生きる私たちと彼らとが、単なる「与え、受け取る」関係ではなく、それぞれの心が共鳴し、循環しあう関係を築いていけるようになることです。
まずは、少しでも多くの方々に、彼らの底に流れる「心」を感じていただくこと。そして、やがては、その「心」が現地へと戻っていくこと。現代に生きる私たちと、チベットの未来を担う人々の、そのプロセスこそが、本当の意味での「癒し」へとつながっていくに違いありません。
amanamana/アマナマナの「The Blessing from Tibet」というメッセージには、そうした思いを込めました。
プロジェクトに関わっていただいた全ての人に、深い感謝とともに。
カルマ・パルデン